報われぬ善意 [迷い猫道 (雑記)]
オスカー・ワイルドの「報われぬ善意」の世界
これは教育的なのか?
はたまた、反教育的なのか?
... と、思ってしまいます。
自分にとって、著しくデメリットな行為を
そして、認めてもらえず、心に感じさえしない行為を
することに、どんな意味があるのか?
心無い者の有益に、ただ利用され、ゆえに馬鹿にされ、
忘れ去られるだけなのではないか?
善意的な犠牲は、自己満足でしかないのか?
ならば、やらないことが身のため... そういうこと?
利用する側に立つべきだ... そういうこと?
この著者の格言:
「わずかばかりの誠実さは危険であり、
度を越した誠実さは致命的である」
彼の綴る「報われぬ善意」の主人公達、
幸せの王子とツバメ, 小夜啼鳥, ハンス...
皆、致命的な結果に導かれてしまいます。
ハンスの話では、モラルとして
他者からの善意に対して報いるべきだ
との考えを green Linnet に語らせていますが、
モラルは、文化, 時代, 地域・集団, そして個人にも
相違があり、なかなか共通理解には至らない厄介な
問題です。
厄介ではあるけれど、善なるモラルがなければ
私達は、誰も信じられず、心安らかになれません。
アメリカの小説家; レイモンド・チャンドラーが
その著書で、探偵のフィリップ・マーロウに言わせた
台詞を思い出しました。
「強くなくては生きて行けない
優しくなれなければ生きている資格がない」
善意の行為は、個人の信念に基づくものだと思います。
文化, 時代, 地域・集団を同じとする人々が、
必ずしも同じモラルで生きていません。
モラルよりも、もっと個人的な選択があり、
それを尊い善と感じる人々がいて、語られ、
「善が報われる世の中」を、現在と未来に
求める声が引き継がれている...
自分が生きる資格を、他者に対する優しさだと言った
マーロウは、その優しさゆえに死んでしまった者達を
心から悼むとともに、誇りと感じる人物でもあります。
「報われぬ善意」は
広く長く語られることで、報われるのだと思います。
直接に善意を受けた者が、受け取らなかった心を
何処かでいつか誰かが受け取ってくれるから...
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